源頼朝の平氏討伐に協力し、鎌倉幕府成立後は執権として権力をほしいままにした鎌倉北条氏。北条氏の出身である現在の伊豆の国市に、今年2013年、新たな国宝が誕生しました。
■2013年新国宝の運慶仏
駿豆線伊豆長岡駅から下田街道を北上し、願成就院に到着します。
ボランティアガイドさんの案内で堂内に入ると、正面に今年(2013年)国宝に指定されたばかりの、運慶作の5体の仏像が並んでいます。
正面の阿弥陀如来坐像は、光背もなく、胴体も傷だらけで、幾度となく戦火をくぐり抜けたことを物語っています。一方、御本尊の左右に位置する毘沙門天像、不動明王像は、共にとても美しく、長い間地域の人々に大切に守られてきたことが感じられます。国宝に指定されてからだと思いますが、LED照明や耐震設備も完備され、これからも長く大事にされることでしょう。
願成就院はもともと北条時政が建立した寺で北条氏の氏寺的性格を強く持っていたことから、境内には北条時政の墓所があります。また、寺の近くには北条政子の産湯の地などの見どころもあります。
願成就院から次の目的地に続く田園地帯にはいくつか富士山がよく見える地点がありますが、残念ながらこの日は雲がかかりその姿を見ることはできません。蛭ヶ島茶屋で休憩してから韮山城跡を経由して、次の目的地、江川邸に入ります。
■新発見の連続!江川邸
出掛ける前の事前調査で重要文化財江川邸の存在を初めて知りました。昔の豪農の茅葺屋根の家かなにかと思っていましたが、現地に行って大変な認識不足であったことを思い知らされました。
まずは正面入り口。立派な門と重厚な玄関は、かつての大河ドラマ「篤姫」で、篤姫(当時は「おかつ」)の自宅の外観として撮影に利用されました。
土間に入ってまたびっくり。かまどの横には大砲が飾られ、生きた木をそのまま柱にした「生き柱」や、天井の最も高いところには日蓮直筆の「火伏せの護符」を納めた棟札箱が見えます。
この護符のおかげでしょうか、この建物は一度も火災に遭ったことはなく、かつての貴重な資料がたくさん保存・展示されています。
江川家は代々この地域の代官を務めた家系で、中でも36代江川太郎左衛門(坦庵)は名代官として知られ、韮山反射炉やお台場の建設、パン製造など多くの業績を残し、庭には「パン祖の碑」もあります。
平成の今でも正月には現在の当主とかつての臣下の子孫の人たちが勢揃いすると聞いて、日本の歴史や文化がこの地に脈々と引き継がれていることを感じました。
■世界遺産登録を目指して 韮山反射炉
反射炉とは、銑鉄を溶かして炉に流し込み、大砲を鋳造する施設。幕末に列強諸国に対抗する軍備の増強を図るために、幕府直営の反射炉として築造された施設が韮山反射炉です。幕末期の日本では各地に反射炉が作られましたが、当時のまま残っているのは、萩と韮山の反射炉のみと
なっています。
現在韮山反射炉は、 日本の近代化産業遺産群-九州・山口及び関連地域の構成資産として世界遺産登録に向けた活動が進められています。今後の動向が注目されるとことです。
さて、この日の予定を終えてあとは帰るだけとなりました。伊豆長岡駅に向かう途中、来るときには見えなった富士山がうっすらと顔を見せてくれ、この日の小さな旅の締めくくりとなりました。
■2013年新国宝の運慶仏
駿豆線伊豆長岡駅から下田街道を北上し、願成就院に到着します。
ボランティアガイドさんの案内で堂内に入ると、正面に今年(2013年)国宝に指定されたばかりの、運慶作の5体の仏像が並んでいます。
願成就院 |
正面の阿弥陀如来坐像は、光背もなく、胴体も傷だらけで、幾度となく戦火をくぐり抜けたことを物語っています。一方、御本尊の左右に位置する毘沙門天像、不動明王像は、共にとても美しく、長い間地域の人々に大切に守られてきたことが感じられます。国宝に指定されてからだと思いますが、LED照明や耐震設備も完備され、これからも長く大事にされることでしょう。
北条政子産湯の地 |
願成就院から次の目的地に続く田園地帯にはいくつか富士山がよく見える地点がありますが、残念ながらこの日は雲がかかりその姿を見ることはできません。蛭ヶ島茶屋で休憩してから韮山城跡を経由して、次の目的地、江川邸に入ります。
曇り空の田園地帯 |
■新発見の連続!江川邸
出掛ける前の事前調査で重要文化財江川邸の存在を初めて知りました。昔の豪農の茅葺屋根の家かなにかと思っていましたが、現地に行って大変な認識不足であったことを思い知らされました。
江川邸正面 |
土間の大砲 |
この護符のおかげでしょうか、この建物は一度も火災に遭ったことはなく、かつての貴重な資料がたくさん保存・展示されています。
生き柱 |
天井最上部の小さな箱に日蓮直筆の護符 |
米蔵 |
■世界遺産登録を目指して 韮山反射炉
反射炉とは、銑鉄を溶かして炉に流し込み、大砲を鋳造する施設。幕末に列強諸国に対抗する軍備の増強を図るために、幕府直営の反射炉として築造された施設が韮山反射炉です。幕末期の日本では各地に反射炉が作られましたが、当時のまま残っているのは、萩と韮山の反射炉のみと
なっています。
韮山反射炉 |
さて、この日の予定を終えてあとは帰るだけとなりました。伊豆長岡駅に向かう途中、来るときには見えなった富士山がうっすらと顔を見せてくれ、この日の小さな旅の締めくくりとなりました。
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